江古田ミアンの好きな曲とは〜
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- 66 ) guretu-an
- [2003/12/15(月) 11:23]
- 今日は東長崎のパーッケージプラザトコヅメに徒歩で行く。
ここは私にはなくてはならない店で、いつも客で多忙であり、
店員の愛想はないがやはり店はニーズがあれば愛想などは
ほぼ関係ないのだなと、ここに行く度にそう思わされる。
一方通行の千川通りを江古田の方に進むが途中からとても無意味に
広くなっている。これは東長崎の議員の政治力がそこで潰えたと
いう事を意味しているように思われる。
<省略> [全文]
- 65 ) guretuan\com
- [2003/12/14(日) 17:45]
- フロリスト花増の店頭に鮮やかな赤い花を見つける。
緑との対比が見事に美しい。クリスマスが近いなと思う。
しかし店頭にはポインセチアはなかった。
石黒豆腐店はシャッターが半おろしだったが、日曜の休みなのか
昼前の時間は営業を休んでいるのかは不明だ。
私は近くの住宅に囲まれた小さな公園に入った。
公園名がどこにも記されてなく名前が分からない。
斜めの日差しが暖かくさしている一角で煙草
<省略> [全文]
- 64 ) guretuan\com
- [2003/12/14(日) 12:10]
- 「プラグドルニッケルのマイルスデイビス」を聴く。
と書くと少しインテリジェンスが向上したかのように錯覚出来るので
書いてみた。プラグドルニッケルといういかにも無機的なものと
ジャズの範囲に納まりきれないでいるマイルスの不穏な感じが
とてもいいタイトルなのだ。
しかし実際のアルバムはあまり良くはない。
どこかしら浮付いた、バラバラな感じでグループの奥底からの緊張感が
出てこないままの音
<省略> [全文]
- 63 ) guretu-an
- [2003/12/14(日) 00:51]
- 「江古田」と「昭和34年」で検索かけると、山本林太郎(1912〜1967)
という秋田県八森村生まれの、後年八村村特定郵便局長」で生涯を
終えた人の年譜が出てきたのだった。
山本林太郎はその生涯のどこで江古田と縁を持ちえたかというと、
昭和13年の27才の折に品川の保険会社の社員であり、その時に
江古田の一軒家を借りていたというものであった。
「ヂミな花びら」というべき、そういう人もいたんだなあと・
<省略> [全文]
- 62 ) guretu-an
- [2003/12/13(土) 19:30]
- 「黒い花びら、静かに散った」ではじまるこの陰気な歌詞の作者は
永六輔なのである。そして作曲は中村八大、といえば言わずもがな、
アメリカを席巻した「上を向いて歩こう」のあのコンビである。
何という曲想の相違だろう。
「黒い花びら」は昭和34年の最大のヒット曲であり、記念すべき
第一回レコード大賞の大賞を受賞したのであった。
ちなみに同年の歌唱賞はフランク永井の「夜霧に消えたチャコ」
<省略> [全文]
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管理者:AZUKI
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