【がんばれ】江古田計画を勝手に応援【学生】
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209 ) AZUKI
[2003/09/29(月) 21:41]
それと、僕は学生さんの企画の「刹那性」に対しては、特に不審は持っていません。
「学生のすることはそんなもんだろう」というのが、まず自身の経験に照らし合わせても共通の見解ではないかと思われます。

ただ、江古田計画は3年続いている集団です。
3年続けていて刹那的ではまずかろうと思います。
また、彼らの失敗が致命的であった場合、同様の企画を考えついた後発の学生さんにとって、江古田計画の失敗が
<省略> [全文]

208 ) AZUKI
[2003/09/29(月) 21:37]
実際問題、「学生」は、大学という組織の中でのコミュニティを持っています。
例えば、効果のほどはともかくとしても、「校門前の掲示板」にメッセージを貼ることも、
学内(やはり校門付近など)で呼びかけのチラシを撒くことにも効果はあるでしょう。
学生という同一性の高い層が、大学という校舎の中に詰まってるわけですから。

また、各商店主に対するアプローチも「商店会に働きかける」ということで、解決可
<省略> [全文]

207 ) AZUKI
[2003/09/29(月) 21:27]
>>206
「まちづくり」は、もともと江古田計画のほうから出てきた発案です。
以下、引用。

引用開始------ http://ekodakeikaku.com/101.html
>(前略)
>江古田の街を活性化させる事を目的に、商店会と協力して活動しています。
>この「活性化」というのは、住民・学生が江古田の街で楽しむことができて、
>江古田に住んでいない人が江古田に遊びに来るような、
>そして3大学の学
<省略> [全文]

206 ) guretu−an
[2003/09/29(月) 21:11]
>江古田計画が「学生のためだけではない」を公言するのだったら、
「地域とどのような繋がり方をしていくか」は考えないわけには
いかないと思います。(これで色変わるの?)

それは当然そうです。ただ、ひとつの方法としてとりあえず
何かの行為を起こす。「例えば」のぼりはあくまで「例え」ですので、
江古田計画が出来る何らかの事、それはつまり当初より
何か意味のある事でもなくても注意喚起をする
<省略> [全文]

205 ) こばやし
[2003/09/28(日) 19:41]
>>199
>意味づけというのはほとんど後付けのようなもので、最初に意味づけが
>なされるのはむしろその祭りに限界を与えるものではないかと考える。

上記の考え方だと、「意味づけ」とは「まちづくり」になりますよね?
あくまでも「アートマーケット」は手段であって、目的は「まちづくり」ですよね?
となると、はじめから「アートマーケット」に限界があるとの主張ですか?
・・・と言う訳でもな
<省略> [全文]

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管理者:AZUKI
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