江古田ゆうゆうロードの騒音放送
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- 23 ) AZUKI
- [2003/02/26(水) 05:12]
- さて、僕は「商店街は権力」とは思っていません。
むしろ、「地元商会の方々による共和制」と捉えております。もちろん、地元の長老の方の意見が強かったり、新参者にはツライ部分もあるでしょう。人間の集団ですからね。
しかし、それは「商店街が住民に君臨し、商店街利用者を支配する」というようなシステムとはおよそ縁遠いと思いますし、「話せば判る」だろうとも思います。
そこで、テーマを「携帯、隣の若者の
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- 22 ) AZUKI
- [2003/02/26(水) 05:02]
- 「マジョリティが権力の側に立つことで安心感を憶える」云々についても異議を唱えます。
権力を悪役と見、少数の抑圧されたものが気の毒な善である、という考え方は、いじめられっこの図式に当てはめやすく、勧善懲悪・判官贔屓を好む日本人の情感には訴えやすいとは思います。
しかし、「個人の権利がすべて保障されない都市生活」においては、意見の妥協や多数意見に基づく取捨選択がなされるのは致し方ないことと思います
<省略> [全文]
- 21 ) AZUKI
- [2003/02/26(水) 05:02]
- エレベーターの注意放送が「痛み」だと聞いて、ちょっと腰を抜かしているのですが……。
煩わしいとは思いますが、「生産者・管理者に管理上の手抜かりがあったら、消費者・利用者は損害さえ立証できれば訴えていい」というPL法ができてから、terappinさんの仰る音害は始まったのではありませんか?
PL法は「消費者を保護するための法律」であり、その副作用が「過剰な注意を促すエレベーターの放送」であり、「たった一人の
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- 20 ) AZUKI
- [2003/02/26(水) 04:19]
- 繰り返しになりますが、都市生活とは不満と我慢を強いられる共同生活だと思います。
商店街の宣伝が、「街の雰囲気」として好きな人がいる一方で、「街の騒音」として厭だと仰るterappinさんのような方がいらっしゃるのは理解できます。
「好きな人」「嫌いな人」と分けると、意見の種類は2種類。選択肢は二つ。
しかし、間に「別に気にならない人」がよりたくさんいて、その人達は「別に必要だとは思わないが、厭だと思
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- 19 ) AZUKI
- [2003/02/26(水) 04:09]
- ある種の市民運動を活発に参加なさっている方々は、何かに付け「個人の権利が侵害されるから権力(=多数意見と置き換えても結構です)を叩くのだ」という正義に立っておられますね。
terappinさんが挙げられた中島義道氏の著書は、そういった市民運動(を、特に支援している左翼系運動グループのメーリングリスト)などで、高く評価を受けていましたが、「マイノリティがたった一人であっても、権力によって権利が侵害されたな
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管理者:AZUKI
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