今日、怖い体験をしました。
ご存じのように僕は文章を書く仕事をしています。
といっても、「作家」というほど凄い身分ではありません。
いわば売文業。卑下または謙遜して「売文家」などと仰る方がいらっしゃいますが、僕の場合は謙遜でもなんでもなく、本当の意味での「文章売り」を生業にしています。
長らく編集者をしていたことにも起因しているのかもしれません。企画に合わせた文章を書き起こし、必要に応じた煽りを書く。いわば文章工場。
ほとんどの場合、ライターとしての自分の名前は表に出ません。たまに出ることがあったとしても、それは雑誌の中のページの枠の外にほんの小さく入るか、そうでなければ、あとがきやまえがきで触れていただく、奥付に添え物のように載る、といった程度です。
ゴーストの仕事も少なくありません。
ですから、作家、ライターというのも烏滸がましいわけで、「文章製造装置」くらいが妥当だと思ってきましたし、今も自分に対する評価はあまり替わっていません。
名前が出ない文章書きであることに、大きな不満はないと思います。
「文章で食べる」ということがそれなりに軌道に乗っていることもあるかもしれません。
名より実を取ると言えば聞こえがいいのですが、実を捨てて名を選ぶほどのゆとりがないということなのかもしれません。
そう考えてきました。
「ダムド・ファイル リスト」という本を書きました。
これとて、今までしてきた仕事ととりわけ大きな違いはないはずです。
「ホラードラマを小説にするが、書かないか」とお話をいただいたとき、二つ返事で引き受けました。怪談、ホラーブームだし、ホラーもののテレビ番組のメディアミックス本なんだな、と。編集者が求めているのは「ダムド・ファイル」というテレビ企画を活字にすることであって、僕がすべきことはその原作ドラマの世界や雰囲気を損なわないように「読みもの」に変換することだと、と。カトウハジメらしさは、あくまでこの企画にとっては最重要ファクターではないんだ、と。
僕の解釈はおそらく概ね間違っていないだろうと思います。
原作ドラマがあり、原作脚本があり、そこからノベライゼーションを起こすわけですから、作品、企画そのものの主役はドラマそのものであるわけで、ノベライゼーションを書くのは極論すればカトウハジメでなくてもいいわけです。僕という文章書きそのものの価値が求められている仕事ではありません。
僕はそれまでしてきた仕事と同じように、ダムドという仕事をそれなりにうまくこなしただろう、と思っています。〆切には概ね間に合った。全面的なリテイクもなかった。100点満点かどうかの自己採点はできないし、1000%の期待に応えているかどうかはわからない。ただ、大きく裏切るほどひどい出来ということもなかっただろう、と。
僕はゴーストが多い、というより名前の表に出る仕事をする機会はほとんどありません。
もちろん、表紙や背表紙に自分の名前が出る仕事に対して憧れがないわけではありません。文章を書く仕事をかれこれ18年ほど続けてきましたが、著者、作者、作家として、「自分が書いた」ものとして名前が出る仕事をするということは、魅力と運と力量の全て揃った人が授かるものだと思ってきました。羨ましくないと言ったら嘘になります。知人や、少し前までの若手が自分の名を冠した本を出せば、妬ましく思ってしまうときも少なからずあります。ありました。
「超」怖い話は、勁文社時代から数えて13年、竹書房に移ってからのものも合わせれば通巻14冊にもなります。この間、僕の名前が表紙に出たことはありません。共著者は、樋口明雄氏、平山夢明氏と、名だたる作家陣です。また、「超」怖い話については黒子に徹するという自分なりのルールから踏み出すつもりはありませんし、ゴーストに近い立場での関わり方について、大きな不満を感じたことはありません。
ダムド・ファイル リストは、珍しく、「加藤一」という名前が表紙、背表紙に載りました。もちろん、テレビ企画のノベライゼーションという性格上、原案(脚本)を書かれた方々のお名前も同時に冠されています。僕の完璧なオリジナルではない以上、本来なら僕の名前がもっと小さくてもいいくらいなのですが、著者という立場上、原案の諸氏よりも少しだけ大きな文字で「加藤一」と記されています。
僕は名前の出ない仕事が多いモノカキです。
ですから、あまり自分の(関わった)本が店頭に並んでいるのを見る機会がありません。
また、もっとも多く関わっている「超」怖い話はコンビニ文庫の怪談本ですから、大きな書店の新刊コーナーに並ぶこともまずありません。
今回のダムド・ファイル リストは、ソフトカバーとは言え「単行本」という判型となっています。単行本はあまりコンビニには並びません。そもそも、コンビニ流通の文庫本と比べれば、単行本は印刷部数もあまり多くありません。ですから、家の近所のコンビニや、駅前の小さな書店では「ダムド・ファイル
リスト」という本を見ることはできません。
――でも、できるだけ大きな書店の店頭なら、置いてあるかもしれない。並んでいるのを、見てみたい。
これまでにも長く文章を書いてきましたし、何冊か本を書かせていただきました。
でも、こう考えたのはおそらく産まれて初めてだと思います。
僕は、自分の名前が冠された単行本が書店店頭の新刊コーナーに並んでいるのを実際に確かめてみたくて、新宿紀伊國屋書店(タイムズスクウェア)に行きました。
タイムズスクウェアの紀伊國屋書店は、三階に新刊コーナーがあります。
今の時期、つい先だっての直木賞・芥川賞受賞作が山のように積まれていました。
通路側の島をぐるりと回ってみます。
何しろ、1月23日が配本日、土日を挟んで月曜の今日が事実上の発売日です。如何に印刷部数の多くない単行本とは言え、テレビ企画との連動本です。新刊コーナーの隅に背表紙を見せるくらいに置いていないか、と期待しました。
ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない……
予めカバーデザインは知っていましたから、そのカバーだけを意識しながら新刊を舐めるように見つめ、島をひとつ回りきる直前あたりの通路側にびっしりと平積みされた新刊本の山の一角に、十数冊ほど積み上げられたダムド・ファイル
リストを見つけました。
正直、嬉しかったです。
僕の力でここに在るわけでも、僕の価値が認められて「カトウハジメの本」として並べられているわけでもありませんが、並み居る新刊本と肩を並べて、天下の紀伊ノ國屋の新刊コーナーに自分の名前が印刷された本がある。それだけで嬉しかった。
この仕事を始めたばかりの頃は、まだワープロやパソコンがそれほど普及しておらず、原稿は原稿用紙に手書きでした。ですから、活字になって、さらに本になった自分の原稿を見るだけでドキドキしました。奥付に自分の名前が小さく入っているのを見るだけでもドキドキしました。
何年も仕事を続けているうちに、そのドキドキに馴れ、名前が入らないことにも馴れ、この気持ちからは久しく遠ざかっていました。
ですから、自分の名前を改めて自分で見ることについてドキドキしたのは、ずいぶん久しぶりです。
まだ角川書店からは僕の手元に見本が届いていなかったので、現物を見るのも初めてです。手にとってページをめくり、ずいぶん昔に書いたような気すらする内容をつらつら見て、そして新刊の山に置き、再び手にとって……そんなことを繰り返しました。
このまま誰かが買っていくところを見届けるまで帰らないでいようか、とすらも考えましたが、まだ仕事もあります。そうも行きません。
僕は立ち去るのがなんだか惜しくて、積み上げられたダムド・ファイル リストをじっと見つめていました。
最初は、「自分の本」しか目に入りませんでした。
それを見るためにきたわけですから、当然と言えば当然かもしれません。
しかし、それに慣れてくると段々と周囲が目に入るようになってきました。
顔を上げると、「超」怖い話でご一緒してきた昔なじみでもある樋口明雄氏の新刊「光の山脈」が、一段ぶち抜きで並べられていました。
樋口氏と初めてお会いしたのは、僕が18歳、樋口氏が25歳のときでした。僕の日本酒の師匠は樋口氏ですし、その頃に教えていただいたお店には未だに顔を出しています。
樋口氏が「超」怖い話を(というより怪談を)辞めて山梨に移られてからは、お会いする機会やお話をする機会もほとんど失われてしまいましたが、旧知の、そしてご活躍なさっている樋口氏と同じ棚の上と下で、このように名前が並ぶ日が来ようとは。
ダムド・ファイル リストの手前には、内田康夫氏、森村誠一氏の新刊が積まれています。
京極夏彦氏の「後巷説百物語」はものすごい量です。樋口氏の「光の山脈」もすごい量です。しかし、量が問題なのではありません。
作家というのは、文章を書く仕事の中でも殊更に孤独な商売です。
今回のダムド・ファイル リストには「原案」がありましたが、それでも一度仕事に入ったら、誰かに文章を書くことそのものを手伝ってもらえるわけではありません。
構成を考えるのも、何かを描写していくのも、物語のピークを決めるのも、落としどころに落とすのも、全て自分一人だけの作業です。編集者による助言や添削、校閲はありますが、それもまた素材・叩き台としての文章が完成した後の話で、その素材・叩き台となる原文を、原案を下敷きにひねり出す作業そのものは、すべて一人でする仕事です。
そうして造られた文章に、「この文章を書いたのは自分である」というラベルとして貼り付けられるのが、著者の名前です。著者の名前は、内容を保証する証でもあるわけです。
「自分の名前を冠した本」は、「名前を冠した人間が内容を保証する本」ということです。
頭では判っていても、それを実感する機会はそうは多くありません。
紀伊ノ國屋の店頭で、ダムド・ファイル リストの周囲に積まれている「名前を冠した本」は、そうした「作者が内容を保証する本」なわけです。もちろん、僕だって、自分の書いたものについてそれなりの自負はあります。原案という借り物があっても、テレビシリーズという借り看板があっても、文章は自分のものです。
しかし、そうそうたる著名著者陣と比べてどうなんだろう。
問題は他の著者だけではありません。
本を書く、完成させる、書店に並べる、そこで終わるわけではありません。
本は売れなければなりません。テレビと連動した企画本であるダムド・ファイル
リストは、テレビ人気という借り看板があります。自分の文章がテレビ原作より劣っていれば、テレビ人気にケチを付けてしまうことになります。また、テレビを見た人が求めているのと違う内容であれば、僕の自負などというものは「著者の傲慢」に替わってしまいます。
ここから先は、本の売り上げと、読者の感想が僕の仕事に対する評価を決めるのです。
「良い仕事が出来たと思う」というのは、僕自身による僕への自己評価に他なりません。問題は実際にダムド・ファイル
リストを手に取った読者による評価です。
これまでは、名前が出ないが故にまたは主著者ではないが故に、読者の賞賛から縁遠いところにいました。しかし、名前の出ている著者は、読者の賞賛だけを受けてきたわけではありません。値踏みされ、厳しくそして手痛く評価される。内容についての責任を問われる。そうしたことを受け止める表明が、「著書に名を冠する」ということです。
僕は、次第に怖くなってきました。
店頭で足が震え、口蓋の上顎側が妙に冷たく感じられました。
見えているのに視野が狭くなり、聞こえているのに音が遠くに聞こえました。
歩き出した瞬間、右手と右足が同時に出そうでした。
「自分の名前が付いた本」を見つけたときの、最初の嬉しいドキドキなど吹っ飛んでいました。
今更、「あの本はなかったことに」などというわけにはできません。
表紙に自分の名前が入った本を出すのは初めてではありません。以前、竹書房の「怖い」という怪談文庫で、名だたる怪談著者の方々のトップに編著者として名前を挙げていただき、背表紙には僕一人の名前だけが載りました。
ダムド・ファイル リストでは、原案の方々のお名前も背表紙に出ていますので、「怖い」のときよりも僕の名前の扱いは小さいはずです。
ですが、店頭に並んだ本を見てのショックと恐怖は、「怖い」のときとは比べものになりません。
僕は今、紀伊ノ國屋の店頭から逃げ出してきたその足でこの文章を書いています。
位置づけとしては、ダムド・ファイル リストを巡る雑感、日記、本文には入っていないあとがき、または決意表明かもしれません。
これから発売からの時間が過ぎ、内容に対する評価があちこちから聞こえてくるようになるでしょう。厳しい意見は僕の今後の糧にもなると思います。
何より、「自分の名前を冠する本」の意味と覚悟と……怖さを知ったということが、僕にとって大きな収穫であったと思います。
つくづく小説というのは修羅の道です。
ダムド・ファイル リストが少しでも多く売れれば、重版がかかるほど売れれば、「次の機会」が巡ってくるかもしれません。
これまでの僕であれば、「そういう機会がくればいいなあ」で終わっていたでしょう。
この、僕にとっての「未知の恐怖」に押しつぶされて、逃げを打っていたでしょう。
今は、一刻も早く再戦の機会を望む気持ちで一杯です。
怖くてしょうがないけれど、もう一度やりたい。もっと書きたい。
「書くこと」を再発見した加藤一を、読んでいただきたい。
よろしく、お願いします。
――
2004年 1月26日 加藤 一
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